芋粥

fabulously lazy



小学生の頃、初めてケンタッキーを食べた時。
とてつもなく寒い朝に「五分だけ」って言って二度寝する時。
そんな時にはケンタッキーの山や腰が痛くなるくらいの睡眠が
恋しくなったもんです。


でも、いざそれを手に入れてみると・・・
退屈で仕方がない。
キモチいいのは最初だけで、あの恋焦がれたキモチはどこへ!?


芥川の芋粥ってそうゆう話なんだって。
下級武士が芋粥を腹いっぱい食べたいって言ったら、
金持ちの同僚が気まぐれで腹いっぱい食わせてくれるんだけど、
いざそうなってみると全然楽しくない。
芋粥を欲しがってた自分が恋しくすらある、って話。


こういう芋粥話って最近多い気がする。
時代のせいか、年のせいか。


欲しいものはある程度手に入るようになったし(大人買いもできちゃう)、
どこにだって行ける。


でもなんかね・・・
恋焦がれるキモチこそ、大事なのでは?